1978カウンタックLP400Sプロトタイプ
価格:ASK
車台番号:1121002
型式:不明
原動機の型式:112
総排気量又は定格出力:5.0L/kw
燃料:ガソリン
車体寸法ほか:長さ 420㎝/ 幅 200㎝/ 高さ 107㎝/
走行距離:不明
ハンドル:左
今回ご紹介するのはランボルギーニカウンタックLP400Sのプロトタイプになります。
1978年にスイスのジュネーブ国際モーターショーで、ランボルギーニ社からLP400Sのプロトタイプとして発表された大変貴重な1台
です。
長文になりますが、このカウンタックがこれまでたどってきた43年間は以下の通りになります。
1971年3月のジュネーブ・ショウにおいて、ベルトーネ・ランボルギーニLP500 カウンタックは発表された。
エアロダイナミクスを考慮した極端なウェッジシェイプを持つエクステリアデザインは、カロッツェリア・ベルトーネの職員であったマルチェロ・ガンディーニによって描かれたもの。後にランボルギーニ車のアイコンとして広く認知されることになるシザーズ・ドアが装備されていた。ルーフライナーに配されたペリスコープ型バックミラーや、ディスプレイ表示による警告灯を備えたコックピットなど、インテリアもまた近未来的で、会場を訪れた観客は誰もが「市販を前提にした試作車」だとは思わないほど、奇抜なクルマに仕上がっていた。
エンジンはトランスミッションもろとも通常配置とは前後逆向きの縦置きミッドシップとし、エンジン下に設けられたデフに向かって後方に出力を伝える構造になっている。ノーズを低く抑えるためラジエターはエンジンの両サイドに縦置きされた。それでも、前後に実用的なトランクを備えているなど、パオロ・スタンツァーニによるパッケージングのアイディアは秀逸であった。
この当時、イタリア北西部トリノを中心とするピエモンテ地方のベルトーネ工房では、イメージスケッチ通りの原寸大モックアップを製作するために、大きな石膏の塊から削り出す手法をとっていた。
完成したLP500のモックアップを太陽光の下で確認するために運び出した際、通りがかった地元の農夫が発した「Countach!」(クーンタッチ=ワーオ!)という感嘆を表す地元方言から、その名が名付けられたという。
1971年8月にボリビアで起こったクーデターによるランボルギーニ・グループ全体への経済的打撃に加えて、1973年10月に勃発した第四次中東戦争に端を発するオイルショックも重なって、当時、ランボルギーニ社の経営は不振を極めていった。そんななか、華々しくデビューしたカウンタックの市販化に向けての開発もまた、非常に困難な状況にあった。
ショウデビューを果たしたカウンタックLP500は、また1台だけ作られた走行可能な試作車であったため、英Car誌1971年8月号「ワンオフ・ランボルギーニ」記事にミウラJ(本物のイオタ)とともに掲載されたり、1972年のF1モナコGPでのスーパーカー・パレードに登場するなど、ミウラが生産終了になった後の広告塔として活躍していた。
しかしランボルギーニ社の苦しい経済状況のなか、この試作車はそのまま改良テストにも供され、走行テストはもちろんのこと、ボディの改造から衝突実験にまで使われてしまったため、悲しいことにこの美しい試作車は廃棄され現在では存在していない。
様々なテストの結果、エンジンが発する熱量の冷却能力不足が露呈し、シンプルなボディデザインには冷却対策の手直しが行われた。また、ボディの骨格構造は試作車とはまるで違う形式にリニューアルされており、マルケージ社製の強固なスペースフレームにアルミパネルを接合して作られることになったが、結局、エンジンの熟成が捗らなかったこともあって、従来の4リッターエンジンを搭載することになった。パフォーマンスそのものは当初の目論見通りにはいかなかったものの、なんとかカウンタックLP400として市販することに漕ぎ着けたのだった。
1975年初頭、カウンタック・プロジェクトの実質的なリーダーであったパオロ・スタンツァーニが退職したこともあり、経済的にも技術的にも苦しい時期にあったランボルギーニ社に復帰していた、ジャンパオロ・ダラーラを筆頭とするエンジニア達にプロジェクトの推進を命じていたが、ダラーラは、LP400の弱点を見抜いていた。エンジン・足回り・ブレーキ・空力などの対策を、厳しい資金難の中でいかに改良を行うか苦慮した彼は、友人であり優良な顧客であったウォルター・ウルフの協力を得ることを思いつくのである。
当時、石油ビジネスで大成功を収めていたウルフは、資金難であったランボルギーニ社を買い、新しいオーナーになるかもしれないという立場であった事から、若き日のダラーラ(当時38才)からの呼びかけに応じ、同時にランボルギーニ社へ自分だけのスペシャルカウンタックを作るようにオファーした。
その時点でウルフが所有していたLP400 #1120006(1974年6月に納車済)は、ルーフ後部にリアウイングを取り付けたスペシャルだったものの、その性能に不満を持っていたためだ。
かくして、将来ランボルギーニ社の次期オーナーになるかもしれないという気持ちを抱きながら、ダラーラ率いるランボルギーニ社のエンジニアたちはウルフスペシャルカウンタック・プロジェクトを1975年にスタートさせ、同年8月1日にウルフへのプレゼンテーション用車両として2号車(#1120148 外装色:レッド)、黒いオーバーフェンダー内に幅広リム(F:8.5/R12.5インチ)のブラボー・ホイールとピレリP7(F:205/R345)タイヤを納め、フロントスポイラーと角度調節可能な大きなリアウイングを備えた赤いスペチアーレ「EE60765」がウルフの元へ納車された。
翌年1976年2月には、ランボルギーニ社初のスペシャル5リッターエンジンを搭載した「EE60925」のナンバーを持つ3号車(#1120202 外装色:スカイブルー)がウルフの元へ納車となり、ウルフはそのパワーに大変感動したという。
3号車は、LP400用のTipo:L406パワーユニットをベースに改造され、各部にチューニングが施してある。
ダラーラは基本的にシャシー設計の専門家であったため、エンジン開発に関しては自身の経験だけでなく、後にダラーラの後任としてランボルギーニ社に迎えられるジュリオ・アルフィエーリの協力も得ながら、エンジンの改良に取り組んでいた。ボア86㎜×ストローク70㎜から4879ccの排気量を持ち、そのパワーを受け止めるべく補強されたクランクケースをはじめ、オイルラインやカムチェーン、サスペンションの改良なども行われた。
同時期ウルフは、その豊富な資金力で以前からスポンサーをしていた、フランク・ウイリアムズ・レーシングカーズを買収して、ウォルター・ウルフ・レーシングが誕生しかかっていた事もあり、F-1チームのオーナーになりつつあったウルフは、ランボルギーニ社に対し最新型フォーミュラの技術を取り入れた、スペシャルカウンタックの製造を更に依頼したのだ。
金に糸目をつけなかったウルフは、最終系進化型ともいえる、シリーズ最速のカウンタックを造らせた。
ジャンパオロ・ダラーラ率いるランボルギーニ社のスタッフ達は、未来の社長からの頼み事だと解釈していたからだ。
無論、当時資金難だったランボルギーニ社もウルフからの開発援助があって、次期モデルの発表に繋げられた訳だが、何よりダラーラとウルフの関係は盟友以上と言っても言い過ぎではなく、その熱い友情は、45年以上たった今現在でも変わる事はない。
この希少な1台にご興味のある方は、ぜひ一度当社 ショールームで現車をご覧ください。
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